|
TOP > Gallery > 史跡散策(Historic spot) > 洛東 |
|
- 高台寺 その1 -
(Nov. 08, 2003)
|
|
ー 高台寺由来 ー
慶長八年(一六〇三)、豊臣秀吉の正妻北政所は後陽成天皇より、「高台院」の号を勅賜される。
北政所には兄家定と妹ややがいた。慶長九年、家定は臨済宗建仁寺の塔頭常光院を改修建立された。家定に触発された北政所は、寺院の建立に向けて動き出された。その名も号にちなんで高台寺と決められた。
当時、北政所の母が眠る寺町にあった康徳寺が候補にあげられたが、いかにも手狭であったので、東山鷲ヶ峰が選ばれた。
慶長十年、北政所の高台寺建立の動きを知った家康は、酒井忠世・土井利勝を高台寺造営御用掛、京都所司代板倉勝重を普請奉行、堀監物直政を普請掛に任じ、財を惜しまず協力したといわれている。
北政所の存在は、家康にとって非常に大切な存在であったことがうかがわれる。福島正則・加藤清正・浅野長政等の北政所にとって子飼いの大名たちも働いた。
寺町から康徳寺の移転が完了し、伏見城から化粧御殿と前庭(現在の円徳院)の移転が整い、北政所は化粧御殿に移り住まれた。慶長十年六月二十八日、北政所五十八歳の時である。
この地は北政所が七十六歳で没されるまでお住まいになり、したがって北政所終焉の地となった。明けて慶長十一年、鷲峰山高台寺が落慶した。
(高台寺ホームページより抜粋) |
|
参道 |
|
庫裏 |
|
手前観月台、その奥が開山堂。更に背後が霊屋 |
|
臥龍池 |
|
時雨亭 |
|
方丈より |
|
襖絵 |
|
|
|
TOP > Gallery > 史跡散策(Historic spot) > 洛東 |
|